2022年1月、どの省庁よりもはやく、フルクラウドのシステム導入を計画しているのが文部科学省(文科省)です。
各省庁の基幹システムは、2021年9月のデジタル庁発足に伴い、今後はデジタル庁が整備するシステムへの統合・一体化が進められる予定となっています。しかし、ちょうどシステム更新の時期を迎えていた文科省は、まだデジタル庁主導の整備方針が決まっていないタイミングで既に開発に着手していたことから、そのまま開発作業を継続し、2022年の1月に自前で企画したシステムを導入することになりました。
「今回が、文科省が自ら企画・設計を行ったシステムを導入できる最後のチャンスです。このシステムは、今、文科省が抱える課題を解決し、人が人にしかできない仕事に集中できるよう考え抜いて設計しました」——。こう話すのは、文部科学省の大臣官房政策課でサイバーセキュリティ・情報化推進室長を務める坂本秀敬氏です。
さまざまな制約から、過去、なかなか「使う人本位」のシステムを導入できなかったと話す坂本氏に、今回のシステム設計の思想とデジタル庁への期待をお聞きしました。
「多くの制約がある中でも諦めずに突破口を探し、できるところから変えていこう」という文科省の取り組みは、きっと一般企業の方々にも役立つはずです。
若手がどんどん辞めていく——危機感から改革に乗り出す
—— 2022年1月から文部科学省は、基幹ネットワークをはじめ、メールやファイル共有などの各種システムもフルクラウドで実装するという、大規模なシステム刷新に着手しています。お役所といえば、なかなか改革が進まないというイメージがありますが、なぜ、改革の機運が高まったのですか?
※写真注:本インタビューは換気に配慮した環境下においてマスクを装着の上で行っています。マスクなしの写真は話し手、カメラマン、聞き手が十分な距離をとった上で撮影しています
坂本秀敬 一つは、ここ数年で若手の離職率が上がったことがあると思います。
そもそも役人になろうという人の多くは、「法律の整備や制度設計など国の政策決定に関わって、世の中をより良くしたい」と思って入省してきます。しかし実際には、雑用や作業に追われて“本来やるべき政策提案の仕事”に集中する時間がなかなか取れない、というのが実情です。さらに国家公務員は、「仕事の多寡にかかわらず毎年一定数、数を減らしていく」ことが決まっているので、年々、仕事がきつくなっていくんです。
このような状況から、文科省でも優秀な若手が失意のうちに辞めてしまうケースが増えてしまったのです。こうして若手が減ると、これまでは2〜3年も下積みすれば政策面の取り組みにも関われるようになっていた若手スタッフが、いつまでも下積みのままになってしまうようなことも起きてしまい、さらにまた若手が辞めていってしまう——。そんな事態に陥っていました。
こうした状況を変えていくためには、人がしなくてもいいような「作業」は機械に任せて、人にしかできない「政策の企画立案」の仕事に集中できる環境を作らなければならない——。そんな危機感から文科省の改革の機運が高まったと思っています。
—— なぜ、これまで文科省は働き方を変えることができなかったのでしょう?
坂本秀敬 理由は幾つかありますが、1つは中央省庁が一般企業に比べて制約が多いことが挙げられると思います。
例えば一般企業の場合、改革をしようと思った時に、これまでのルールが今の時代にそぐわなければ、トップの判断で変えることができます。しかし、中央省庁では、些細なことまで法律や政令、省令で規定されており、簡単には変えることができません。これらのルールの多くは手書きの時代に定められており、今のようなPCやインターネット全盛の時代になることを想定していませんから、非合理的なことも少なくないのです。
こうした制約の中で業務の効率化を進めるには、法に抵触しない範囲で解釈を工夫し、ルールを守った形で進めるしかありません。このような苦労を重ねてきたのが行政の情報化の歴史なのです。ルールを自由に変えられないことが足かせになって「システムが持つ潜在的な能力を生かしきれていない」というのが、改革がなかなか進まない理由の1つだと思います。
制約という点では、国の会計制度が単年度主義になっており、年度をまたいだ契約手続きや調達が難しいのも課題の1つです。
例えば、入札によってある事業者を選んでプロジェクトを始めても、年度が変わる毎に改めて入札手続きを実施するので、翌年度も引き続き同じ事業者と仕事ができるとは限りません。そうすると、「翌年の3月まで」という短期決戦でプロジェクトを完結させるか、これまで進めていたプロジェクトの続きを次年度は別の事業者と進める可能性があるリスクを覚悟するか、ということになってしまいます。これでは、なかなか中長期的な視点で業務改革やシステム開発に取り組むことができません。
また、こうした制約がスタッフの「改革しよう」という気持ちを失わせてしまったのかもしれません。そもそも情報システム部門の仕事は、「やってあたりまえ、できなければ減点」という見方をされがちで、たとえ新しいことに挑んで成功しても、なかなか加点されることはありません。「今のままでも仕事が回っているのだから、下手にやり方を変えてほしくない」という省内の空気感の中で、あえて制約を乗り越えてまで働き方を変える仕組みを作っていこう、という気持ちを維持するのは難しい面もあります。
「省内横断で改革に取り組む組織」が発足
—— お役所に限らず多くの企業が、よほどのビジネス上の変化が起こらない限り危機感を持てずにいます。文科省はなぜ、改革に踏み切れたのでしょう?
坂本秀敬 省内に「コンプライアンスと改革を推進する組織」が立ち上がったのは、大きなきっかけだったと思います。
それまでは改革を進めようとしても、みな目先の仕事で手一杯で、なかなか手がつけられませんでした。しかし、新しく改革の推進を目的とする組織が発足すると、雰囲気が大きく変わりました。改革を志す現場の若手や中堅スタッフを中心とするメンバーが集まり、省内横断で改革の取り組みをする体制が整うと、そこに問題意識を持つ人たちが半ばボランティア的に参加するようになり、「どうやって働きやすい環境を作るか」を議論するようになったのです。
そんなタイミングでシステム更新の時期が来たので、この改革派のメンバーと連携して「“業務改革”と“システム刷新”を同時にやろう」ということになりました。これが2022年1月のシステム刷新の背景です。本来なら、2021年にシステムを入れ替えるはずだったのですが、実はフルクラウドの実装にこだわって、1年、入れ替えを延期しているんです。
1年前の更新予定でプロジェクトを進めていた時にはまだ、クラウド導入に関する政府のセキュリティ評価制度「ISMAP」が立ち上がっていなかったため、省内のシステム選定でクラウドを選択するのは難しい状況でした。
しかしそんな中、文科省の幹部から「もうすぐISMAPの制度が発足するなら、システムの入れ替えを1年延期してISMAPに準拠したクラウドの導入を目指してはどうか」という声が上がったのです。そこからフルクラウドの実装に向けた動きが加速しました。
いつでもどこでも働ける環境を作るためには、時間や場所を選ばず情報を共有できるクラウドストレージやWeb会議システム、グループウェアやワークフローといったデジタルワークプレイスは欠かせませんから、このようなクラウドシフトの流れはありがたかったですね。そして、行政事務の本質とは何かということを突き詰めると、最終的に『文書の作成と管理』に尽きることから、行政文書のライフサイクルに合わせて、適切に作成した文書をきちんと管理をすることが何より重要になります。また、共同編集や証跡管理の実現によって業務の効率と正確性を向上させるという意味でも、新システムには高度な文書管理機能を導入する必要がありました。
—— 省内に改革の機運が広がっていたのですね。
「制約がある中でも文科省を変えていこう」という仲間がいたことは大きな支えになりました。文科省の中には、「働き方を変えて、本来すべき仕事に集中できる環境をつくっていこう」と、損得なしの純粋な気持ちで頑張っているスタッフがいて、「文科省のあるべき姿」を実現することで社会に貢献できるようにと奮闘しています。私も同じ思いでずっと仕事をしてきましたから、若手のそうした姿を見ると、「上司としてできることは最大限やろう」という気持ちになります。
また、政府全体にDXの機運が高まってきたことは、改革の大きな後押しになりました。正直なところ、以前は情報システム部門の取組にはあまり興味関心を持ってもらえなかったのですが、今では政府を挙げてDXに取り組もうという流れになってきています。
コロナ禍の影響もあって、「これまでの延長線上のIT改革の進め方では、本質的な改革や事業の成長につながらない」ということや、「作業や雑務で疲弊した現場からは良い政策は生まれない」ということを実感する人が増えたのだと思います。
法令で定められたルールは文科省の意向だけでは変えられませんが、政府が積極的なIT改革推進へと舵を切った今後は、IT全盛の時代に合ったルールへの見直しが加速するはずです。ですからデジタル庁にはとても期待しています。
システムを設計する上で大事にしたこと
—— 今回のシステム刷新は、文科省が「ITシステムを自ら考え、開発できる最後のチャンス」だったとのことですが、どんなコンセプトでシステムを設計したのでしょうか。
坂本秀敬 最も重視したのは、「誰のための、何のための改革か」——ということを軸に据えて取り組むことです。ともするとITを使った改革は「ITという手段の導入」そのものを目的にしてしまいがちですが、そこを間違えないよう意識合わせをしています。
その意味でいうと今回の改革は、「国民のため、国益を守るため」に必要な体制整備が基本にあります。文科省が担当している分野は、教育のデジタル化や科学技術分野における最先端の研究開発など喫緊の課題を多く抱えていますから、こうした改革を推し進めるためにも、私たち文科省のスタッフが政策提案を迅速に、継続的に行える体制をITを活用して整えよう——というのが今回の改革の柱になります。
こうしたシステムを作っていく上で大事なことは、「利用者目線で考えること」だと考えています。そのために、実際にシステムを使う側の人や、業務改革プロジェクトを推進している省内のメンバーに話を聞いたり、改革に関心を持つ職員を有志で募って実験的な取り組みをしたりしています。こうした取り組みを通じて、省内に「来年の1月には何かが変わる」という、前向きな予感を抱いてもらえたらと思っています。このような取り組みの先に「文科省のプレゼンスの向上」の実現があるというイメージですね。
もう一つは「全体感のあるシステム」を設計することです。これは、PCやインターネットの普及によって「部分最適の情報化」が進み、各局課がそれぞれ独自に手掛けた「野良システム」(管理責任が曖昧なまま導入された比較的規模が小さなシステム)が乱立して統制が取れなくなったことへの反省から来ています。
昨今では、サイバー攻撃やサプライチェーンリスクへの備えが欠かせませんし、コロナ禍に伴うテレワークやWeb会議の普及でセキュリティリスクが増えています。こうしたことからも、システムを「現場のニーズをただ聞き入れて構築する積み上げ型」で設計するのではなく、「文科省のありたい姿」から逆算した「全体感をとらえたシステム」として設計することが重要だと考えています。文書管理システムでアクセス履歴や修正履歴が証跡として残せることもこういった点で非常に重要な意味を持つと思っています。
課題は人材育成、制約の中で何ができるか
—— 働き方を変えるフルクラウドのシステムを設計する中で、見えてきた課題はありますか
坂本秀敬 本質的な改革を継続的に進めるための人材の確保と育成は、大きな課題だと思っています。
働き方を根本から変えていくシステムを設計するためには、ITのことだけ分かっていても務まりません。パートナー企業には「何を目的としたどんな改革なのか」を伝える必要がありますし、技術面、価格面で適正ではない提案にはNOといえるだけの知識や情報収集力も欠かせません。もちろん、現場の仕事を理解する必要がありますから、行政事務の知識も必須です。
文科省では現在、人材を技術系と事務系という形で採用しているのですが、技術系であっても実際の仕事の多くは行政事務が占め、ITと業務の両方の知識を身に付けられる形でキャリアを積むのは難しい状況です。ただ、行政DXを推進するためにITの基礎知識は欠かせないので、今後は技術系、事務系を問わず「仕事の7〜8割は行政事務、2〜3割はITのことを学んで、ITを共通言語にできる人材を一定数、育てよう」という話が出てきています。
あとは、一般のスタッフが政策提案をするために必要に迫られて「たまたま」身に付けたITの知識を可視化することも大事だと思っています。せっかく提案を通じて調べたり聞いたりして身に付けたITの知識があるなら、それを行政DXの推進や省内改革に役立てない手はないですから。誰がどんなITの知識やスキルを持っているかがすぐ分かるようにして、ナレッジを共有していきたいですね。
—— デジタル庁の発足に期待することはありますか?
坂本秀敬 本来、「システムを変える」ということは、同時に「それに合わせて仕事のやり方も見直して、より生産性が上がるような仕組みに変える」ことも必要だと思っています。しかし、現状では法令で細かくルールが決まっているので、本質的な改革ができていません。
しかし先般、規制改革担当大臣の河野太郎氏の一声で「印鑑廃止」が即座に決まったように、これまでとは異なるスピードでルールの改正が行われる可能性が高まっています。デジタル庁の発足によってこうしたルールの見直しが進んで、「システムも仕事の仕方も変える」というところがセットで実行できるようになればと思います。
「小さな文科省」だからできた大きな改革
—— 今後はどんな改革の取り組みをしていきたいですか?
坂本秀敬 旧文部省はかつて、郵政省に次いで2番目に大きな組織だったのですが、国立大学の法人化などに伴って規模が縮小し、今では2000人規模の小さな組織です。ただ、これが改革を進める上では有利に働いたと思っています。
組織の規模が大きくなればなるほど、ステークホルダーへの説明や説得に時間がかかりますが、組織が小さいとキーマンが限られてくるので話が早い。顔見知りも多いので、どの案件では誰を説得すれば話が通るのかが見えやすく、ゴールにたどり着きやすい。また、先端技術に馴染みがある旧科学技術庁出身者を中心に「情報化の推進」に理解があり、今回の改革にも積極的な「隠れ応援団」が少なくなかったことも大きな後押しになりました。
制約を嘆くのではなく、その中で何ができるのか、それによってどのように働き方を変えていけるのかを考えぬき、文科省が一体となって新しい働きかたにシフトしていくことができればと思っています。まずは2022年1月の新システム始動で省内の人に、「雑務が減って本業に集中できるようになった」と実感してもらうことを目指しています。
【取材・執筆:後藤祥子(AnityA) 撮影:永山昌克】
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